安倍総統と近衛文麿の類似性と大政翼賛会への道2

 昨日は、安倍が総統になり大政翼賛会を作ろうとしていることと同じようなことを、戦前では近衛文麿がやっていたということを説明しました。

 今日はまず、基本的な用語の確認からします。大政翼賛会についてですが、これははっきりいって誤解されています。大政翼賛会は、教科書などを読むと、一つの政党というより官僚のための上下下達機関にすぎませんでした。

 つまり、大政翼賛会は戦争遂行のための最終段階に過ぎないのであって、大政翼賛会ができるころにはすでに外堀が埋まっていて、後は解散するしかないという流れがあったのです。大政翼賛会のWikipediaの成立の経緯を見てみましょう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%94%BF%E7%BF%BC%E8%B3%9B%E4%BC%9A

 近衛文麿を中心として、国家体制の刷新を求める革新派を総結集させて新党を結成する構想は比較的早い段階から検討されていた。1938年の国家総動員法が衆議院内の既成政党の反対で廃案寸前に追い込まれた際には有馬頼寧・大谷尊由らが近衛を党首とした新党を作って解散総選挙を行うことを検討したが、「近衛新党」に党を切り崩されることを恐れた立憲政友会(政友会)・立憲民政党(民政党)が一転して同法に賛成して法案が成立したために新党の必要性が薄くなったことにより一旦この計画は白紙に戻ることになった。

近衛の総理辞任後、ヨーロッパで第二次世界大戦が始まり、国際情勢の緊迫化にともなって日本も強力な指導体制を形成する必要があるとする新体制運動が盛り上がり、その盟主として名門の出であり人気も名声も高い近衛に対する期待の声が高まった。既成政党側でも近衛に対抗するよりもみずから新体制に率先して参加することで有利な立場を占めるべきだという意見が高まった。民政党総裁町田忠治と政友会正統派の鳩山一郎が秘かに協議して両党が合同する「反近衛新党」構想を画策したものの、民政党では永井柳太郎が解党論を唱え、政友会正統派の総裁久原房之助も親英米派の米内光政(海軍大将・前海軍大臣)を首班とし新体制運動に消極的な米内内閣の倒閣に参加して近衛の首相再登板を公言したために合同構想は失敗に終わり、民政党・政友会両派(正統派・革新派)ともに一気に解党へと向かうことになった。右翼政党の東方会も解党し、思想団体「振東社」となった。

近衛も米内内閣の後の第2次近衛内閣成立後にこの期待に応えるべく新体制の担い手となる一国一党組織の構想に着手する。なお、その際、近衛のブレーンであった後藤隆之助が主宰し、近衛も参加していた政策研究団体昭和研究会が東亜協同体論や新体制運動促進などをうたっていた。

構想の結果として大政翼賛会が発足し国民動員体制の中核組織となる。総裁は内閣総理大臣。中央本部事務局の下に下部組織として道府県支部、大都市支部、市区町村支部、町内会、部落会などが設置される。本部は接収した東京會舘に置かれた。

1940年、結社を禁止されていた勤労国民党や立憲養正会等を除く保守政党から非合法の日本共産党を除く無産政党まですべての政党が自発的に解散し大政翼賛会に合流した。昭和研究会も大政翼賛会に発展的に解消するという名目によって1940年11月に解散した。もっとも、議院内の会派は旧来のまま存続し(貴族院ではもともと政党はなく院内会派が政党的存在であった)、また大政翼賛会自体は公事結社であるため政治活動はおこなえず、関連団体である翼賛議員同盟などが政治活動をおこなった。これは、「勝ち馬に乗り遅れるな」という言い回しで知られるが、解散した各政党や内務省等も大政翼賛会内における主導権を握るため協力的な姿勢をとったものの、団体内は一枚岩ではなく、一国一党論者の目指したものとは大きく異なっていた。

……引用終わり


 おおざっぱにまとめると、近衛が新体制運動を叫び、最初は政党が近衛新党に負けるからいやだと言っていたが、ヨーロッパで戦争が起きると近衛と新体制運動への期待が高まり、最後は「勝ち馬に乗り遅れるな」という言い回しで、各政党が自主的に解散した野合の結果できたのが大政翼賛会だと言えます。

 また、大政翼賛会は政党ではなく、1938年に成立していた国家総動員体制のための公事結社でしかなく、政党も政治家もお飾りでした。

 大政翼賛会が成立した背景には、ヨーロッパでナチスが第二次世界大戦を始めたことが大きいことがわかります。仮に現代で似た様な事態、大国同士の戦争が始まったならば、日本は確実に参戦するであろうアメリカとともに集団的自衛権を行使して戦争に参加するでしょう。大政翼賛会ができるとすれば、戦争が始まった後のことです。

 しかし、戦争が始まる前に大政翼賛会を作る流れはすでに存在しているはずです。

 歴史をさらにさかのぼって検証してみましょう。大正から明治にかけて政治と経済と文学で特徴的な動きがありました。

 1916年に吉野作造が民本主義を提唱したことや、都市化が進み社会運動が活発になり、1918年の米騒動が起こると衆議院第一党であった立憲政友会の総裁原敬が総理大臣になるあたりから、政党による政権交代が目指す大正デモクラシーの流れが起こり、1925年には治安維持法と同時に普通選挙法(25歳以上男性すべて)が施行されました。経済面では、第一次世界大戦の終了に伴う昭和恐慌による労働者の貧困化によってプロレタリア文学が流行しています。

 比較的最近、わたしたちは極めてよく似た事態を経験しました。自民党と民主党の二大政党制による政権交代です。その時は、政権交代が民主主義だと思われていた点で大正デモクラシーに似ています。経済面でも2008年のリーマンショックの影響で、小林多喜二『蟹工船』とマルクスブームが起こりましたが、左派の流行と民主主義による政権交代という流れは近衛前の時代と、安倍前の時代に共通しています。それはおそらく、流れを作り出した人々が同じような考えで、同じような目標に向かって計画しているからだとわたしは考えています。

 では、その後どうなったのか、大政翼賛会成立までの流れを確認していきたいと思います。

 まず、昭和初期の方では、二大政党制は急速に解体していき、悪法で有名な、軍部大臣現役武官制によって軍部が政権に強い影響力を持つようになります。

 一つ注意しておくと、当時の軍隊は国民から人気がありました。日本の軍隊は、ソビエト干渉に失敗したものの、日清日露や第一次世界大戦で領土を獲得していました。対して、マスコミに対する批判は強まり、軍部に期待する声が大きくなったというわけです。

 これは現代でも自衛隊が災害救助隊として人気があるのに対して、マスコミはネットマスゴミ呼ばわりされながらも、自衛隊に期待する人が増える構図とそっくりです。違うのは、戦前の軍隊は戦争に勝つことが期待されていたけれども、自衛隊は戦争に勝つことそのものを望まれているわけではないということです。

 昭和に戻りましょう。まず、軍部の暴走で満州事変が始まり、1937年の第一次近衛内閣の時に盧溝橋事件をきっかけに日中戦争がはじまります。近衛内閣は意図的に講和を避けて、戦争を引き延ばすようなやりかたを取りました。

 そうしている間に、軍人や右翼が国家改造計画を押し進めて、5・15、2・26事件などのテロによって政党政治が壊滅させられます。1930年代には社会主義の弾圧が起こり、1921年に結成した日本労働総同盟が解体されて、左派の流れがつぶされました。1938年にはダメ押しの国家総動員法によって、実質ナチスの全権委任法のようなものが成立して、この時点で反対の可能性はつぶされてしまいます。

 このあたりの経緯は、いまの日本とはかなり違いがあります。当時は軍部や右翼などがテロを起こして民主主義を破壊していったけれども、いまの日本ではテロや軍部が台頭するとはなかなか考えにくいでしょう。

 この違いこそが、かつてといまの決定的な違いです。昭和初期の戦前の時代は、民主主義と政党政治は暴力によって文字通り壊滅させられたけれども、いまの日本では安倍政権と官邸が曲がりなりにも選挙に勝利して権力を維持し、マスコミと公安を使って敵対勢力のネガティブキャンペーンを実施して、失墜させようとしています。

 この違いは非常に重要です。自民党安倍政権はいまの時点では民主主義の外形を破壊することはなく、国民に気づかれないうちに準備を進めて、最後に民主主義を破壊しようとしています。この戦略の違いに注意しなければ、安倍政権が次に何をやるかはわからないのです。

 近衛の狙いは、一つの統一された政党を作ることでしたが、それは事実上失敗に終わります。安倍は近衛よりもうまくやっています。国会に第二自民党、第三自民党を作り、国民が自覚できないうちに憲法を改正まで押し切り、安倍を総統とする統一政党を作ること、いまの時点ではその試みは非常にうまくいっています。ですから、失敗した近衛の大政翼賛会などと比べてもあまり意味がないのです。

 安倍政権に至るまでの過程や、政権が生まれるまでのパターンは近衛政権によく似ています。経済不況からの救世主であるアベノミクスと、第二次世界大戦の準備としては新体制運動。そして、一度目的を果たせなかった後に再登板して2度の政権を務めている点も、家柄の良さでも共通する点があります。

 しかし、それは外面的な部分だけで、いま起こっていることの本質を理解するためには、安倍政権と支配階級がこれから実行するであろう計画を読むためには、近衛を検討するだけでは不十分だということです。確かに大正から昭和初期までは、日本の平成10年代以降と重なる部分があることはわかりますが、いまの日本の支配層は当時をそのまま繰り返すつもりはないようです。では、なにを繰り返すつもりなのか? 答えは明らかです。彼らが繰り返そうとしているもの、それはヒトラー総統の時代のドイツです。ヒトラー台頭の流れを知らなければ、わたしたちは安倍政権が次に何をするか予測できないでしょう。

 まとめると、細川政権から民主党政権成立までの流れは、大正デモクラシーとプロレタリア文学の流行をほぼそのまま繰り返していると言えますが、野田から安倍への禅譲は、選挙で勝ったヒトラーをとりあえず首相にする流れに似ています。つまり、無風ということです。しかし、その後経済政策を重視して、戦争に持ち込もうとしている点で共通しています。

 次回はヒトラー総統と安倍総統の類似性と、統一までに予想される今後のシナリオを具体的に検討します。

にんじんスコール注意報

空からにんじんが降ってきてなにかが変わったらいいなと願っているブログ。 ……というのは冗談。 第三次世界大戦に関することや世界統一政府に向かう陰謀シナリオなどを予想したり、時事ネタなどを書いています。

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